Sleになって気づいたこと

2017年の夏、膠原病の全身性エリテマトーデスになりました。

私という人物

今回は私という人物についてです。

私の職業はナースです💉

高校を卒業後、そのまま専門学校にいき看護師免許をとりました。

私の卒業した看護学校は病院に付属した学校だったので、そのまま付属の病院に就職しました。

そのまま7年間中堅ナースとして働き、結婚後流産を繰り返すため退職しました。

この7年間は辛く厳しいものでしたが、たくさんのことを学び看護師としてのキャリアを積むことができました。

どの仕事もそうだと思いますが免許をとるだけではダメなのです。

看護師としてさまざまな患者さんと関わり、経験し、学び続けなければならないのです。

看護学校はその土台となるだけで、学生時代にその基礎を作るだけの場所なのです。

 

看護師の仕事にやりがいを感じ、たのしかったのですが、私は仕事を辞めてでも子供がほしかったのです。

そして退職が決まったのち、すぐにメルルを授かりました。

メルルを妊娠した時は本当に嬉しかったです。また同時に流産を繰り返していたので不安でもありました。

なんとかメルルは私のところにやってきてくれたのです。

ですが、メルルはとにかくよく泣く子でした。

産後半年まではべッドに置くとすぐに泣くので、夜通し抱っこして夜泣きに付き合い、朝4時過ぎから寝始めるという生活でした。ミルク育児だったので、泣いてもすぐにミルクをあげられず申し訳ない気持ちと、どうして泣いてばかりなのかわからず悩み続ける日々でした。

とにかくどこに行ってもギャーギャー泣くので、精神的にも肉体的にもだんだん辛くなってしまいました。

そうやって私は子供と一緒に居続ける自信がなくなってしまったのです。

自分の中で逃げ道を作りたかったのだと思います。

また看護師の仕事がしたいと思うようになったのです。

けれど、保育園には空きはなかったので託児所つきの病院に就職するしかなく、それでも私は働くことを選びました。

まだ7ヶ月のメルルは託児所でたくさんの病気をもらい、何度も点滴をしに病院にいき、ほとんど仕事を休むといった生活でした。

すると今度は私は何のために私は仕事をしているのだろう……

そう思うようになりました。

結局、私はわがままなのです。

子供がほしいとあれほど望み、仕事のキャリアも諦めたのに、産んでみると思うようにいかない現実に嫌になり、また仕事に逃げたのです。

今はsleになって家にいてスー子を育てるようになりました。

スー子の時々笑う声やちょこんと座り遊んでいる姿を見ると、どうしてメルルと一緒にいてやらなかったのか、どうして仕事に逃げてしまつまたのか、後悔している自分がいるのです。

sleになっていなかったらスー子も産んですぐ仕事に戻ろうと思っていた私。

この度病気になりましたが、病気は逃げていた私をひきとめてくれたように思います。

わがままで弱い私ですが、今度はせめて子供が巣だっていってくれるまで、この病気と向き合い付き合っていく。逃げないと心に誓っています。